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博士の愛した数式

昨日見てきました『博士の愛した数式』!

小川洋子の原作本は読んでいないのですが、彼女の「薬指の標本」を以前読んで、なんともいえない独特なしっとりとした空気感や不思議な世界に迷い込んだような雰囲気が好きだったので、本当に楽しみな映画だったのです。

が、しかし。
どうも期待しすぎたかなーという気がしました。

全体としては非常にしっとりと落ち着いた映画で、吉岡秀隆の数学教師の話などは本当に面白くて良かったのですが、いかんせん細かな所で設定無視?と感じなくも無いところがあってそれが気になってしまいました。
でも、寺尾聰の博士は本当に素敵で、穏やかで優しい雰囲気が良かったです。深津絵里が、10歳の子供を持ったシングルマザーで、しかも家政婦歴もベテランという感じが無かったのですが、それはどうでも良いかなと感じるくらい、博士の包み込むような暖かさが映画自体をやさしいものに仕上げていたように感じました。
浅岡ルリ子も・・・なんだか違和感が。
着物姿があまり綺麗に見えなかった為かもしれませんけれど、上品な身なりのご婦人(未亡人)という言葉から受ける「静的」な雰囲気が感じられなかったんですよね。

ネタバレOKな方は続きをどうぞ。
【story】
数学教師のルート先生は、新しく受け持ったクラスで、自分の名前の由来を語り始める。それは幼い頃、彼が大好きな博士が名づけてくれた仇名だった。シングルマザーだったルートの母は、事故の後遺症で記憶障害を負った数学博士の家で、家政婦として働き始めた。ある日、彼女に10歳の息子がいることを知った博士は、家へ連れてくるように告げる。その日から、博士と母、ルートの3人の和やかな日々が始まるのだが…。(goo映画より)

吉岡秀隆のルート先生は良かったと思うんです、私。
ああいう授業は非常に興味を惹くし、数学が文学のようで本当に面白いなって思えたので。
しかし私がどうしても不思議なのは、担当家政婦が頻繁に変わるというこの博士なんですけど、見ている限りではそんなに世話が大変なの?って気がしてしまって・・・。
浮世離れした数学者というものが気難しくて大変だというのならそれも分かるし、記憶障害がある為に次の日に逢うと再び「はじめまして」から始めなくてはならないという大変さもわからなくは無いんです。
でも、だからと言って、そんなに大変か?と思ってしまったんです。
これは思えたんだから仕方ない。←開き直ったわけじゃないですけど、結局映画の中にそういうリアリティが欠落していたような気がするんですよね。
深津絵里は家政婦歴も長く、シングルマザーで男の子を育てているという役である訳ですけれど、どうもその辺の奥深いものが見えないのです。言葉使いもやたらと硬い(丁寧)のに、野球の後に博士が倒れた時は息子をそのユニフォームのままソファで寝かせてしまうなど、ちょっと考えられない面があって、そういうところ一つ取っても、どうも違和感を感じてしまったのです。
ただのお嬢さんだっていう設定なら違和感は無いんですけど、母な訳ですから・・・

そして浅岡ルリ子。
この義姉の存在が謎めいているようで謎めいていない!
あまりに強く出すぎた気がします(それは役者としての存在感かもしれないけれど)。
薪能のシーンは素敵でしたけれど・・・でもあそこで手を繋ぐ(握る)のもどうなんだろうって気がしました。
博士が彼女の事だけ忘れない理由も、もう少し匂わせるだけで良かったのに吐露してしまうあたり、あまりにも俗物っぽくて、彼女の生活と不似合いすぎて違和感がありました。

いや、こんな風に違和感を次から次へと感じたそもそもの理由は、冒頭のBGMにあったと思います。BGMっていうか、ソプラノ。
なんですかね、あの 悲劇的なメロドラマチックな過剰演出 は。
物語そのものは、非常に穏やかで淡々としていたと思うのに、あんな劇的なソプラノが冒頭に来てしまったら(そしてエンドロールで使われたら)どうも興ざめです。

そんな訳で、期待しすぎた私にとってちょっと違和感を感じた映画でした。とは言え、非常に穏やかで綺麗な映画だったと思います。
何より、寺尾聰の博士が本当に素敵でした。
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